A

色々と書く

四畳半神話大系

梗概

大学生の「私」は薔薇色のキャンパスライフを夢想し、不毛な大学生活を繰り返していく

 原作改変について

アニメを見て驚いたのは原作との違いだ。

原作との相違点をあげていけばキリがないので、私が気になったところだけを紹介する。

まず、原作における世界線は、

・映画サークル「みそぎ」に入った私

・樋口師匠に弟子入りした私

ソフトボールサークル「ほんわか」に入った私

・秘密組織「福猫飯店」に入った私

以上、四つの物語から成っている。

対して、アニメではテニスサークルやバードマンサークルなどが追加され、多くの平行世界が展開されている。

 

次に、「私」が小津を紹介する際の台詞。

原作では「十人中八人が妖怪と間違え二人が妖怪だ」となっている。

アニメでは「十人中八人が妖怪と間違え二人が妖怪だと納得する」となっている。

どちらが語感が良いかは火を見るより明らかだと思う。

細かいところではあるが、良い改変だと思った。

 

次に、幻の亀の子たわしについて

原作では亀の子たわしを工面してくれたのは明石さんだった。

アニメでは部屋に戻った「私」が十万円の入ったリュックを見つけそれでたわしを購入したことになっている。

このリュックは、後にどこまでも四畳半が続く世界に閉じ込められた「私」が各部屋で手に入れた千円札を詰め込んだものだ(ここは原作と同じ)。

原作ではこの拾い続けたお金を元手に下鴨幽水荘から引っ越している。

アニメではたわしを購入し、後に種明かしとなり伏線の役割を担った。

 

最後に、明石さんとの恋の行方。

原作では全ての物語で明石さんと結ばれて終了している。しかし、だからと言ってこれまでの大学生活に納得しているわけではない「私」が、また別の物語を紡ぐという話だった。

アニメでは、明石さんと結ばれるのがラストのみとなっている。

 

色々な点で大なり小なりの改変が見られるが、特に改悪となってはいない気がする。

「私」がやや早口で独白をし続けるという異質な方法によって、原作における森見登美彦の小難しいが癖になる語彙と雑学に富んだオモチロイ言い回しを再現しており、上手に映像化したなと心から思った。

 

別作品との関連性

アニメで樋口師匠に弟子入りした私が城ヶ崎の家にゴキブリの塊を投げ込むシーンがあるが、これは森見登美彦のデビュー作「太陽の塔」で登場している。

猫ラーメンも同書で登場している。

他にも「私」の下宿先である下鴨幽水荘は太陽の塔に登場する高藪という男の下宿先であったりと、探せば沢山の共通した単語を発見できる。

少し前にアニメ映画化された「夜は短し歩けよ乙女」には歯科衛生士の羽貫さんと樋口という人物が出てくる。

夜は短し歩けよ乙女のアニメ映画や、有頂天家族2期など、とにかく映像化され続ける森見登美彦の作品だが、それぞれを別のものとしてではなく、関連性を見つけるのも一つの楽しみだと思う。

 

所感

樋口師匠が「私」に対して放った

「可能性という言葉を無制限に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である。我々の大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。自分の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根元だ。今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない」

という台詞がある。

この言葉はただの格言としての役割だけでなく、ラストへと深く関係している。

この話の最後は幾つも存在する平行世界の四畳半を移動する主人公に、どの四畳半もさして大きな変化がないという現実を示し、そして主人公は別の人生を夢想することをやめ、憎むべき小津を愛するようになる。

 

ほとんどの人が一度くらいは別の人生を夢想したことがあるのではと思う。

そんな経験がない人はよほど恵まれた環境におり、自分の持つ才能を遺憾なく発揮でき、やることなすこと万事上手くいっている羨ましい人か、後悔なんて言葉に縁のないウルトラポジティヴな心の強い人くらいだろう。しかし何でも簡単に割り切れる強い人間など沢山いるものではない。

私も後悔の多い人生をおくってきて、昔を思い出してはあのときああしておけばと考え、あり得べき別の人生を夢想したりすることがある。

今の自分の現状が嫌いなわけではないが、かといって好きなわけでもない。もし可能であれば、人生のターニングポイントと思われる時分に移動してやり直したい。

それでは樋口師匠の格言を忘れたのかという話だが、そんなこと知るか。

何か格言を聞いて真摯に受け取り、さっさと考え方を改められるほど単純な心など持っていない。それが今の私だ。

そうして、もしかすると今の私とは全く違う、あり得べき別の私があった可能性を夢想するばかりの私が唯一無二の人間としてここに在る。

そんな具合に育ってしまった。嘆かわしいことである。

責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。