A

色々と書く

月がきれい

 梗概

中学三年になった安曇小太郎と水野茜の二人は色々な出来事を通して互いに惹かれあっていく

 設定

至極普通。ファンタジー要素などは一切ない純粋な恋愛モノなので仕方のないこと

 

キャラクター

茜ちゃんが可愛すぎて、他の有象無象はどうでもいい。小太郎の友達の女みたいな男がくそキモかったくらい。

茜ちゃんの声優の演技はそこまで上手だとは思わなかったが、だからこそいい。

ホールデン・コ―ルフィールドが言っていた。「何でもそうだが、あんまりうまくなると、よっぽど気をつけないと、すぐこれ見よがしになってしまう。そうなったら、うまくも何ともなくなる」と。

 

楽曲

主題歌から挿入歌まで全ての曲を東山奈央が歌っている(合唱曲は除く)。

東山奈央は好きだし、いまだに中川かのんの曲を聴いているほどだが、ほとんど物語に関与してこないキャラの声優がここまででしゃばってくると少しきつい。

業界の事情とかはよく知らないが、今ではすっかり売れっ子となった東山奈央をゴリ押ししてくる意味がよく分からなかった。それかアーティスト路線になったのか。

とにかく東山奈央本人のことには詳しくないのであやふやなことしか言えないが、どんだけ歌うねんってくらいにはしつこかった。

 

総評

評価:B

小太郎の茜ちゃんへの配慮のなさや追いかけるべきところで追いかけない雑魚さ、その他諸々の意気地なしな様子を見ていると少々ムカムカするが、そういった不器用な彼らの嬉し恥ずかしな恋模様こそが醍醐味でもあるので気持ちの整理が難しい。

最終回のエンディングで、二人のその後の行く末がLINEのやり取りでダイジェスト方式に流され、結果的には結婚して子供も生まれていたのには驚いた。

中学生の物語を、さっきまでまるで児戯でも見守るかのように大人の立ち位置から眺めていたのに、いきなり最後の数分で彼らがみるみる成長し、しまいには結婚して、追い抜かれたという事実に複雑な心境となった。

余談だが、茜ちゃんが大学のサークルの新歓コンパにて寝取られる同人誌が出るだろうと思った。

所感

自分が登場人物たちと同い年だった頃を否が応でも思い出させてしまうのが、リアリティを押し出した青春モノの良いところでもあり悪いところでもある。家族と外出中にクラスメイトと出会ってしまったときの謎の恥ずかしさとか、ドリンクバーで本当はメロンソーダを飲みたいのにかっこつけてアイスコーヒーにしちゃうとか、連絡こないかなあと思いながら携帯見つめるとか、そういった描写があると、当時の自分との類似点がありすぎて変な声が出てしまう。

中学生とは、義務教育中、控える高校受験、親の関与等々、思春期を楽しく過ごすにはあまりにも枷が多い。しかし、そういった不自由さこそが青春を青春たらしめるのだと思う。とは言え渦中の小太郎や茜ちゃんは勿論、現実の悩める学生たちからすれば不自由さにこそ青春の妙味があるなんてこと甚だどうでもいいうえ、早く大人になりたいとすら思っているだろう。そもそも自分たちが青春を謳歌していることに気付かないのではないか。

青春とは観測者がいてこそ成り立つのだと考える。

会社帰りとかに公園の近くを通ると、ベンチに座って何やら楽しそうな制服姿の中高生カップルをよく見かける。すると私は「青春してんなあ」と思うのだが、自分が中高生だった頃に公園のベンチで彼女と小っ恥ずかしいやり取りをしてたときに、自分で「これが青春かあ」などと思ったことは一度もなかった。

そのくせ、自分も確かに通ってきた道を今歩んでいる中高生を見て「青春してんなあ」「青春したかったなあ」と、あれが青春だと知り憧れてしまうのだからどうしようもない。